【史跡の概要】
白山平泉寺旧境内は、平安時代後期から室町時代の越前において、白山信仰の拠点として強大な勢力を有していました。一般的には「平泉寺」の名称で知られています。
平泉寺は養老元年(717)に泰澄大師によって開かれたとされています。平安時代には比叡山延暦寺の末寺となり、室町時代にはす寺領九万石・九万貫・四十八社・三十六堂・六千坊、僧兵八千と称される隆盛を誇ったと伝えられています。しかし、天正2年(1574) 一向一揆との戦いに敗れ、全山焼失しました。その後、境内中心部のみが再興されましたが、明治の神仏分離令によって平泉寺は廃され、白山神社となりました。
平成元年(1989)度には、旧境内の範囲を確認する発掘調査が開始されました。その結果、かつての平泉寺境内が、現在の白山神社境内の十倍以上もの広さであったことがわかりました。
平成9年(1997)3月10日には、史跡の範囲が旧境内のほぼ全域(約200ヘクタール)に拡大され、 名称も「白山平泉寺城跡」から「白山平泉寺旧境内」に変更されました。
【発掘調査・整備の概要】
平泉寺が隆盛を誇っていた頃、この南谷一帯には千六百の僧坊(僧侶の住居)が存在していたと伝えられています。これら屋敷跡は、現在の田畑や山林の区画に残っています。
平成2年(1990)度と3年 (1991)度に、道を中心に発掘調査を行った結果、石畳道や排水路、僧坊の出入り口、石橋、石垣などが出土しました。
その後、一部に崩落する危険性が生じたため、平成8年(1996) 度と11年 (1999) 度に国の補助を得て石畳道と石垣等の修復を行いました。
下の図は、修復を行った施用がわかるように色分けしたものです。
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