ぶらり周遊ルート

福井勝山の日本遺産を見るならここ!王道ルート!約3時間(車で移動)

写真:一乗谷朝倉氏遺跡の下城戸跡の石垣/白山平泉寺旧境内の石畳

  • 1勝山駅

  • 2国史跡 白山平泉寺旧境内

    平泉寺白山神社・中世の石畳

    【史跡の概要】
    白山平泉寺旧境内は、平安時代後期から室町時代の越前において、白山信仰の拠点として強大な勢力を有していました。一般的には「平泉寺」の名称で知られています。
    平泉寺は養老元年(717)に泰澄大師によって開かれたとされています。平安時代には比叡山延暦寺の末寺となり、室町時代にはす寺領九万石・九万貫・四十八社・三十六堂・六千坊、僧兵八千と称される隆盛を誇ったと伝えられています。しかし、天正2年(1574) 一向一揆との戦いに敗れ、全山焼失しました。その後、境内中心部のみが再興されましたが、明治の神仏分離令によって平泉寺は廃され、白山神社となりました。
    平成元年(1989)度には、旧境内の範囲を確認する発掘調査が開始されました。その結果、かつての平泉寺境内が、現在の白山神社境内の十倍以上もの広さであったことがわかりました。
    平成9年(1997)3月10日には、史跡の範囲が旧境内のほぼ全域(約200ヘクタール)に拡大され、 名称も「白山平泉寺城跡」から「白山平泉寺旧境内」に変更されました。

    【発掘調査・整備の概要】
    平泉寺が隆盛を誇っていた頃、この南谷一帯には千六百の僧坊(僧侶の住居)が存在していたと伝えられています。これら屋敷跡は、現在の田畑や山林の区画に残っています。
    平成2年(1990)度と3年 (1991)度に、道を中心に発掘調査を行った結果、石畳道や排水路、僧坊の出入り口、石橋、石垣などが出土しました。
    その後、一部に崩落する危険性が生じたため、平成8年(1996) 度と11年 (1999) 度に国の補助を得て石畳道と石垣等の修復を行いました。
    下の図は、修復を行った施用がわかるように色分けしたものです。

    車で15分


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  • 3七里壁

    七里壁

    勝山中心市街地の本町通り東側には、通りとほぼ並行して高さ5~7mの石の壁が断続的に続きます。九頭竜川の流れによってできた河岸段丘の壁面に丸い川石を積み上げたものです。勝山城下町は、七里壁をまちなかに取り込み、段丘の上には城や武家屋敷、下には町屋や寺院が配置されました。

    車で3分 (徒歩の場合5分)


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  • 4大清水・勝山街並み

    大清水

    勝山市街地に広がる河岸段丘の下には、かつて多くの清水が点在していました。段丘面の上にある河川の水や雨水が地下に浸透し伏流水となり、湧き出したものです。現在はここ大清水のみが残ります。川石を積んだ周囲の石垣と、1895年(明治28)に地元の人々が豊富な水に感謝して祭った不動尊が、今も城下町の風情を残しています。

    車で43分


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  • 5一乗谷朝倉氏遺跡

    一乗谷朝倉氏遺跡

    一乗谷のまちづくりには大量の石が巧みに利用されています。城下町の入口にあたる下城戸跡では巨石を積み上げた石垣が人々の侵入をさまたげます。発掘調査により見つかった良好に残る建物の礎石群や庭園跡の組石からは、当時の武家や商人の屋敷の配置や間取り、暮らしぶりが分かります。また笏谷石製の井戸枠や多彩な生活用品が多く発掘されています。

    車で25分


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  • 6養浩館庭園

    養浩館庭園

    養浩館庭園では県内外で産出される多彩な石の特徴をうまく庭づくりに生かしています。御月見ノ間近くのやり水では、長さ5m幅90㎝もの自然石を橋にしています。砂利州浜に並ぶ飛石は、紫色の三国産安島石やピンク色の敦賀半島産花崗岩、青緑色の緑色片岩など色とりどりの石が使われています。笏谷石製のつくばいや延べ段なども見られます。

    車で5分


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  • 7福井駅

    福井駅