ぶらり周遊ルート
歴女のロマン満喫 笏谷石ルート約3時間(徒歩で移動)
写真:北ノ庄城址
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1福井駅
福井で生息していたフクイラプトル、フクイサウルス、フクイティタンの3体を、実物大で動くモニュメントとして設置しています。
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2福井城址
初代福井藩主・結城秀康が築城しました。四重の堀で囲まれた二ノ丸、三ノ丸が本丸を取り巻いています。本丸周囲の高石垣は、ほぼ同じ大きさでそろえた笏谷石の切石を布積みの手法で見事に積み上げています。また用水や暗渠、建物の礎石や瓦などの建材もすべて足羽山産の笏谷石が使われています。その美しい姿は現在も福井市街地の景観を彩っています。
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3北ノ庄城址
越前支配の拠点が一乗谷から北ノ庄・福井へ移り、産出地の足羽山が近くなったことで、笏谷石が都市づくりに盛んに利用されるようになりました。戦国武将柴田勝家による北ノ庄城築城でも石垣や屋根瓦などに笏谷石が多く使われたと考えられています。現在の福井のまちの発展は北ノ庄城を始まりとし、その後、福井城に受け継がれたのです。
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4足羽川桜並木(右岸)・九十九橋
戦国武将柴田勝家が北陸道と足羽川が交差する要衝に築いたといわれる橋です。南側半分は笏谷石製、北側は木製の「半石半木」で、その理由に関しては諸説あります。江戸時代には多くの地誌類に名橋・奇橋として取り上げられるなど広く知られていました。幕末までは足羽川で唯一の橋で、北側の船着き場には三国湊の川舟が往来しました。
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5足羽山周辺の景観(愛宕坂)
愛宕坂
愛宕坂は古くから足羽山への唯一の参拝道で、江戸時代後期に呉服商の松岡屋吉兵衛が寄付を募り笏谷石の石階段を完成させました。かつて周辺は料亭が軒を連ね、幕末の歌人・橘曙覧が約10年間この地に庵を構えました。平成の再整備にも笏谷石がふんだんに使われ、また周辺の寺社の灯籠などに笏谷石が用いられるなど青い石が厳かな雰囲気を醸しています。
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