一乗谷朝倉氏遺跡・下城戸跡の石垣(福井市)
ストーリー
白山平泉寺旧境内の石畳(勝山市)
白山平泉寺は、中世の最盛期には48社36堂6000の坊院を持ち、8000人の僧兵を要する巨大な宗教都市でした。一向一揆に攻められて全山を焼失しますが、1989年に発掘が始まると、大規模に施工された石垣や石畳道が出土。全国に先駆けて、石を使って都市全体を造り上げた高度な技術と経済力が明らかになりました。道は平たい川石を敷き詰め、山石で石垣を築き、石畳に平行して排水溝を設け、坊院を等間隔に配するなど綿密な都市整備の跡が見られます。
この平泉寺が持つ先進技術は、直線距離で20数キロ離れた一乗谷に受け継がれ、福井の石のまちづくりのルーツとなりました。
一乗谷朝倉氏遺跡は国の特別史跡に指定され、1967年から調査が続いています。ここでも石を都市建設に巧みに利用しています。城下町入り口には巨石を5メートル近く積み上げた城戸が威容を誇ります。朝倉義景の館跡をはじめ家臣などの屋敷跡には石垣の区割りや礎石が非常に良い状態で数多く残り、屋敷の各部屋の間取りなどが判明。笏谷石製の井戸枠、バンドコなどの生活用品とともに、往時の城下町の賑わいを伝えています。また山石を立体的に組み合わせた庭園も数多く残されています。