日本遺産

福井城址の笏谷石の高石垣(福井市)

石がかたる
3つのストーリー

ストーリー

近世城下町のまちづくりと石

石と川を活かした近世の城下町

勝山城下町・七里壁の石垣(義宣寺付近)

織田信長から越前を与えられた柴田勝家は、現在の福井市中心部に当たる北ノ庄に城を築きました。北ノ庄城は、7層(9層とも)の天守を持ち、笏谷石製の瓦がふかれていたようです。また勝家は、足羽川に北半分が木造、南半分が笏谷石造の九十九橋を架橋しました。

江戸時代に入ると結城秀康が越前を拝領し、北ノ庄城(後の福井城)を築きました。四重の堀を巡らせた城は、現在は内堀を残すのみですが、約4万個の笏谷石を用いた石垣や、天守台などが残ります。

このように近世は、笏谷石の産地である足羽山に近くなったこともあり笏谷石が建材としてまちづくりに大量に使われるようになったのです。大安禅寺にある松平家の廟所「千畳敷」や「丹巌洞」などでも笏谷石が多く用いられています。また北前船で日本海側の各地にも笏谷石が運ばれました。

一方、勝山の城下町では、九頭竜川の流れが形成した河岸段丘を利用してまちが整備されました。段丘の壁の部分に高さ5~7メートル、南北20キロ余りにわたって川石を積み上げた「七里壁」が、城や武家屋敷と町屋などとを分ける区割りとされ、今も景観を形作っています。

構成文化財